受験国語専門塾 ファンタジスタ 代表 小中直樹(こなかなおき)

屋号または会社名
受験国語専門塾 ファンタジスタ
役職
代表
名前
小中直樹(こなかなおき)

どんなお仕事をしていますか?

予備校の講師をメインに、大学で講演したり、個人では日曜日だけの塾講師もしています。現代文と古文と漢文と小論文と、教えている範囲は幅広いですね。

20代は香川県に住んでいたのですが、30歳で独立を決めていてそのタイミングで大阪にやってきました。独立を決めていた理由として、毎日同じ電車に乗るサラリーマンは自分には合わないなぁと思っていたからなんです。ただ、いきなりフリーになったんで当所は月収12,000円で…ぜんぜんお金ありませんでした。

縁があって、採用されなかった予備校に籍だけ置いてたんですが、1ヶ月後にお仕事がもらえるようになって、籍を置くってこともお断りしていたらお仕事はなかったですね。

コロナ禍でも感じましたが、仕事がないってつらい、仕事があるって本当に大事で、今ずっと続けられている予備校講師業や、自分の塾をぶれずにやっていきたいと思います。これしたい、あれしたいというよりは、今やっていることをちゃんと続けていきたいです。

講師になるきっかけは?

僕は、勉強がすこぶるできない子でした。小学校の社会科だけを教えにきてくれることなった渡辺先生がきっかけで、僕の人生は変わりました。先生のようになりたいと思ったのが最初のきっかけです。小学生で、授業が始まる10分前に興奮することってないと思うんですけど、渡辺先生の授業の前は「きゃーー!」みたいな興奮です、信じられないでしょ。

それくらい教え方が画期的で授業が楽しかったんですよ。その先生がいなかったら僕は大学にも行ってないだろうし、大学院も目指さなかったです。日本史にも興味も持たなかっただろいうなぁと。

余談ですが、ぼくは中学・高校生くらいからテレビ番組の情熱大陸にでたいと思ってて、母校に帰る、みたいな理想を持ってたんです笑。そうやって、大人になって会う、と思ってた渡辺先生と、腰を痛めた先の病院で再会したんです、横の席にいました。情熱大陸で、という思っていたような再開は叶いませんでしたね笑。

最近あった素敵なこと

関東の大学に入ったんですけどすぐ辞めてしまったある生徒の話です。誰もが「やめちゃうの!?」と驚くような大学だったんです。辞めたあとに、プロのバンドを目指そうと音楽の専攻のある学校にいきまして、ビジュアル系バンドのベーシストになり現在はプロのミュージシャンとして活動しているようだったんです。

ある日、その生徒から写真が送られてきて「L'Arc〜en〜CielのHYDE」や「X_JAPANのYOSHIKI」と肩組んで映ってたんです!…ビッグになったなぁ...ってしみじみ。世界のレジェンドたちと同じ空間にいられる時間が得られたことに感動しました。

お金持ちになったり大成功していなくてもいいので、「こんなふうに頑張ってます」って写真くれたり、連絡くれたり、そういうのがとにかく嬉しいですね。

オオサカンにきたきっかけ

オオサカンスペースができてから1〜2年の後にきたと思うんですが、その当時放送されていたテレビ番組の「よ〜いドン!」を見まして、大崎さんがキックしてまして「なかなか自由な場所やな」と笑。コワーキングスペースって当時そんなになかったと思うんですが、改めてホームページでオオサカンを調べてみて興味を持ったのもあり、ちょうど仕事も入っていなかったので、ちょっといってみようっていうのがきっかけですね。

実際に行ってみて、メンバーが個性的な方が多くて、ぼくも自分のことは個性的やと思ってたけどぜんぜん普通でした笑!とってもアクティブな大人たちの集団で、自分からたくさん情報を発信していて、そこのボスに大崎さんがいて。異業種があって、いろんな人がいるっていうことを知れたっていうのは、とってもいい経験でした。

これからオオサカンに期待すること

オオサカンにも学生アルバイトが増えているということですが、そういう若い人と話してみたいですね。講師業という仕事をしているので、若い人たちのこれからどういう道に進んでいくのかに興味があります。どういうビジョンで、どういう将来を考えていますか?みたいな、そんなことをお聞きして、そこから「やっぱり自分も頑張らないとな」っていう活力をもらいたいそんな気持ちです。

オオサカンってどんなところなん?って聞かれることもあります。興味は持ってる人はとっても多くて、「オオサカンスペース入ってるんや!すごいね」って言われたりするので、そんな特別な存在でこれからもいて欲しいです。

こんなにメンバー同士の交流が濃密なところってないです。コワーキング界隈では、オオサカンは老舗的な感じになって欲しいなって思っています。